「ホントのトコロ」は毒舌にも似てそこに Vol.6「謙虚よりも礼儀」


採用活動では語られない、

人事担当のホンネを連載

していきます。

 

タイトルにもある通り、

ホントのところを率直に

語ることが毒舌に近くなる

ことも覚悟してやっていきます。

 

第6回の「毒舌≒ホント」のテーマは

「謙虚よりも礼儀」

です。

 

猫をかぶれる

 

謙虚さは、そう思っていなくても

口先でいくらでも「装う」ことが

簡単にできる。

 

謙遜することによって、簡単に。

本当は誇らしく思っていても、

自分の手柄、能力によるものだと

思っていたとしても、謙虚さを

演じることができる。

 

口先三寸。そんなに難しくなく、

練習も必要ない。

 

しかし、ひとかどの面接官なら、

そんな付け焼き刃の謙虚さに

だまされることはない。

 

謙虚さを装うのなら、それなりの

リスクがあることを承知の上で

やらないと、痛い目をみることに

なりますよ。ご注意を。

 

それに加えて、謙虚さは必ずしも

美徳であるとは限らない。

自分の仕事、自分の手柄であるので

あれば、きっちりとアピールする

ことはなにも悪いことではない。

 

実績はきっちりとアピールしないと

正当に評価してもらえないことも

あるのだから。

 

それどころか、自分がきっちりと

アピールしなかったことが原因なのに

「あの上司は何もわかっていない!」と

勝手に腹を立てるような人間がいる。

 

それに比べれば、謙虚さに多少欠ける

ぐらいのほうが、まだ好感が持てる

というものだ。

 

しかし、礼儀を尽くすことは、

尊敬できるとか、敬服しているとか

思っていない相手に対しては、

なかなかできないもの。

 

やろうとすれば簡単にボロが出る。

口先だけでなく、お辞儀をしたり

握手をしたりと体の動きが伴うので、

無理にやろうとしても、相手には

本当の気持ちは敏感に伝わって

しまう。

 

礼儀はマナーとも違う。マナーが

きちんとできているかどうかは、

その人がこれまでマナーについて

学んできたか、知っていて実践

できるかどうかの問題にすぎない。

 

勉強不足であるということは問題

かもしれないが、知らないことは

学ぶ気持ちがありさえすれば

いつでも学ぶことができるので

大きな問題ではない。

 

礼儀を学んでも、そうしたいと思って

いない相手には尽くすことできない。

装うことはできても。

 

学べるとしたら、どんな人にも

学ぶところがあり、尊敬できる

ところを見つけるのは可能だと

いうことだけである。


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