私は年齢に比べて、サラリーマンとして
働いた期間が短い。
大学を卒業してそのまま就職した
同期は、2019年には勤続20年を
超えているはずだが、私はいろいろ
あって合計しても10年ちょっとだ。
なぜかといえば、まず同期より3年、
いろいろあって社会に出るのが遅れた。
そのうえ、転職を4回していて、
次の仕事が見つかるまでに、
いろいろあって1年近くかかった
ことが2回ある。
さらに、約3年前にサラリーマンと
して働くことを、いろいろあって
小休止した。
これら「いろいろあって」の部分は、
これから連載をしていくうちに
整理して明らかにいこうと思うが、
とにかく、同期よりも半分の期間しか
サラリーマンとして働いていない。
転職したくてもできないような
「実力のない」人間ではなかった
のだと自慢するわけではない。
転職回数の多さは人生経験の多さ
だと誇らしげに語ろうとも思わない。
働いた期間よりもその中身のほうが
重要だなどと言うつもりもない。
だが、どの会社でも全力を尽くした。
周囲の人間がどうあろうとも、自分の
良心に背くことだけはするまいと
自分を奮い立たせ、一生懸命働いてきた。
少なくとも何度かは、会社のために
身を粉にして働いて、そのために
体調を崩したこともある。
だが、そんな私の思いは、会社に
届くことはなく、いとも簡単に
踏みにじられてしまった。
今考えても納得がいかないし、
折に触れて思い出すこともあり、
腹に据えかねる事態が起こった。
何度か繰り返した転職も、それが
理由であった。しかし、環境を
変えても解決はしなかった。
心底、サラリーマンが嫌になった
ので、特に次の展望があったわけ
でもないのに、小休止することに
した。それから2年半が経過した。
後悔はない。
会社から見れば、いい社員では
なかった事だろうと思う。
結果的に、短い期間しか勤務
しなかったことによって、私を
雇用するのにかかった投資を回収
する前に退職されてしまった。
会社にとっては歓迎できないこと。
その点は申し訳なく思っている。
振り返って思うに、私は初めから、
長い期間1つの会社で働くことに
向いてはいなかったということ
なのかもしれない。
もっと言えば、サラリーマンには
向いていなかったのだろう。
そのことをはっきり、嫌と言うほど
思い知るのに長い時間がかかったと
いうだけのことかもしれない。
だが、向いていなくても、会社に
勤め続けることができていれば
それはそれで幸せであったろう。
そうならなかったのは、私が社会に
出て最初に勤めた会社での体験に
よって、
「いい社員になることなんて
ロクなもんじゃない」
という反逆の精神が埋め込まれた
結果なのかもしれない。
次回はその反逆の精神が埋め込まれる
ことになった話を。