私が最初に勤めた会社には、文字通り
命を懸けて仕事をしている人が
大勢いた。私もその渦に巻き込まれ、
一線を越えそうになったところを、
家族に救い出された。
不幸な結果になる前に、からくも
退職することができた。
警察や消防、自衛隊や外交官のように
任務の性格として、場合によっては
命を差し出すことが求められる仕事に
ついたわけではない。
しかし、その職場では、それこそ
命を削って、命を差し出してまで
働ている人がたくさんいた。
それが美徳とされる雰囲気があった。
頑張っていることの証明でもあった。
深刻な内臓疾患を抱えながら、あるいは
深刻なうつ病を発症しながらでも働いて
いる人が何人もいた。今にして思えば、
そんな命に係わる状態で仕事をする
先輩や同僚がいるのは異常事態だ。
そんなことがまかり通っている職場に
自分がいたことに、いまさらながら
恐怖を感じるが、その時はそうは
思ってはいなかった。
この時点で、私も病気だったの
かもしれない。
私には理解できないが、そのような
状態でも仕事をしている自分に酔い、
喜びさえ感じているからこそ、
できたことなのかもしれない。
それが原因なのかはわからないが、
何人かは一線を越え、二度と
戻ってはこれなくなった。
病名がつくものではなくても、仕事の
プレッシャーに耐え切れず、肉体的、
精神的に追い詰められた結果、
「飛んで」しまう人も珍しくなかった。
ある日突然連絡がつかなくなり、失踪の
ような形で退職していく人も年に数人は
出ていた。
おかしなもので、何度かそういう
事態に遭遇すると感覚がマヒしてくる。
そういう人が出ることを前提として
自分の仕事を組み立て、「飛び」が
発生したら被害を最小限におさえる
ために素早く動き、調整すること
さえできるようになる。
後に「失踪退職」した本人から聞いた
ところによると、通勤途中で突然
「ここから線路に飛び込めば楽に
なれるかな」という思いにとらわれ
るのだそうだ。すんでのところで
なんとか踏ん張り、踵を返すことが
できたのであるが、そうできる人と
出来ない人の境界線はどこなの
だろうか?
いや、そんな境界線など知りたく
はない。境界線に立つこと自体を
避けることのほうが重要だ。
冒頭に書いたように、一度はその
境界線を見た人間として、それが
率直な意見である。
アルコールと同じで、自分の限界を
知ってさえいれば、酔ってツブれて
しまうことはない。限界に近付いた
と感じたら酒を口にしなければ
いいだけの話だが、それは限界を
知っていることが前提である。
最初の会社で私は、仕事に命を
懸けることの「限界点」を知る
ことができた。それとともに、
限界を超えてしまうことの
恐ろしさも。