誰にでもある本当に大切な「働くこと」 Vol.6「バッファーを持つ」


タイトルにある「バッファ」とは、

もともとはIT業界でよく使われていた言葉で、

「一時的にデータを保存しておく領域」のことを

指していう用語である。

そうではあるのだが、現在、ビジネスの世界では

「余裕」とか「緩衝」という意味で使われる

ことが多い。

 

残業ありきのスケジュールを組んだり、

誰か一人でも欠ければ途端に仕事が

回らなくなるような綱渡り状態の人員で

仕事をすることの危険性は避けるべきだ。

なにか予想外のことが起こったとしても

対応可能なように「余裕」を持たせるべきだ

という意味で使われることが多いようだが・・・

 

私が今回言いたいのは「能力のバッファ」

のことである。成果を出しながら働き続ける

ためには、常に、自分が持っている能力の

更新と向上が必要だということである。

 

そのためには、ある程度の時間と余力が必要だ。

持てる時間と能力のすべてを使わないと達成

できない仕事をしていたのでは、能力の更新や

向上に振り向ける時間と余力が残っていない

状態になってしまう。

 

そんな状態が長く続けば、能力の更新も向上も

できず、時間を切り売りするしかなくなる

安い労働力として「コモディティ化」する。

それではまるで使い捨てだ。

 

一時復活したものの、働き方改革が声高に

叫ばれ始めてから一向に見なくなったのが、

「24時間闘えますか」というフレーズだ。

バブル期に某栄養ドリンクのCMで使用され

有名になり、滅私奉公の長時間労働をする

モーレツ社員(もはや死語だが)を賛美する

ような時代錯誤の考え方に基づいたものだが、

今でもしぶとく生息している考え方だろう。

 

能力など更新も向上もしなくていい。

そんなことに使う時間があるのなら、

仕事をしてより長い時間、労働力を提供して

くれればいい。それで健康を害して働けなく

なっても、また別の人を雇えばいいから。

そういう考え方である。

 

それが人手不足等で立ち行かなくなったから

働き方改革が言われだした、という面がある。

長時間労働が是正されていくのは、人をつぶす

ことなく、長く使い続けるために必要なこと

だからだ、という面があることに気づくべきだ。

 

だからこそ、それで生まれたプライベートの時間は、

自分の能力の更新と向上とに充てるべき時間なのだ。

そうしない人は、容赦なく安い労働力として

「コモディティ化」していく危険に、今まで以上に

さらされているということを忘れてはならない。

 

 


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