「ハゲタカ」というドラマのセリフが
今も強く印象に残っている。
「おい、お前いくつだよ。
どこの世界にな、
『これが俺の仕事でーす!』なんて
100%胸張って言える奴がいるんだよ。
どんな業種だってなぁ、大なり小なり
やましいことや、自己嫌悪で胸の奥が
ひりひりすることはあるさ。その胸の
うずきを、場末の居酒屋の生ビールで
流し込んで忘れたフリするのが、
働くってことなんじゃないのか」
大手都市銀行に勤める芝野は、本心では
存続させるべきではないと考えている
企業とその経営者を、メインバンクの
行員として守らないといけない立場。
そんなジレンマに悩み居酒屋で酔っ払い、
管を巻いているときに、同期から
言われるセリフだ。
一理あると思う。社会に出て働くと
いうことは、そういうことも覚悟して
受け入れていくということも必要で、
すべてが綺麗ごとによってことが運ぶ
というのは幻想かもしれない。
だが私自身は、こんな思いまでして
その企業・組織で働き続けるという
選択肢は、取るべきではないと思うし
取らなかった。その結果、何度も転職し
一時は苦渋も舐めたが、それでよかった
と心底思っている。
なぜなら、働くことを、こんな風に考えて
でも、今の仕事にしがみつかなければ
ならないという状況にあるとしたら、
これほどツライことはないのではないか、
と思うからだ。職業的良心とでもいおうか、
正しいと思うこと、こうあるべきだと思う
ことができないという状況に耐え抜く
ことに、どれだけの意味があるのか。
そうやって長い人生を生きなければ
ならないとしたら、何のための人生なのか。
このあと、芝野は自らの信念を貫き通して、
その企業と経営者を、自らの首と引き換えに
葬り去ることになる。銀行退職後は独立し、
ターンアラウンドマネージャー(企業再生請負人)
として活躍する。結果的には良い選択だったのだ。
働きたくなる職場は、働く人に職業的良心に
背くことを強要しない組織だ。いくら一流と
いわれる企業・組織で、高い給与と手厚い
福利厚生があろうとも、根本的なところで
職業的良心に背かないとやっていけないと
したら、なんのために働いているのか?
その疑問に、企業・組織が真剣に向き合う
ときに来ている。
グーグルの行動規範「邪悪になるな」という
項目が、このことを端的に表現している。
グーグルがこれほど発展し、世界中の優秀な人材
から働きたい職場として選ばれる理由であろう。