意味のないことには、二種類ある。
ひとつは、存在自体がすでに意味がないこと。
もうひとつは、やってはみたものの結果的に
何にも成果が出ず、意味がないことが
わかってしまったことである。
前者をなくすように努め、後者を恐れない
ようにしなければならないのであるが、
多くの場合、反対のことをしてしまう。
存在自体が意味がなくなってしまったことを
放置することで問題は起こる。しかし、
やってはみたものの意味がなかったことが
問題を起こすことはあまりない。なぜなら、
やってみないと意味がないかどうかは
わからないのであり、少なくとも成果を出す
ことのないルートを1つつぶすことができた
のであるからだ。
さらに言えば、やる前から「意味がない」と
言って反対することほど意味がないことはない。
そんなことをする人は、すでに存在自体が意味が
ないことを守ろうとしていることが多い。
存在自体が意味がないことの代表は、
「今までやってきたことだから」
「昔はこれでうまくいったのだから」
というだけの理由で、現在も有効で
役に立っているかどうか検証されず、
ただ「なんとなく」「惰性で」やり続け
られているに過ぎない仕事である。
誰も見ていない、必要としていない書類や
資料を作り、保存していないだろうか?
見る必要のない人に書類を回し、出席する
必要のない人を会議に呼んでいないだろうか?
企業・組織の中で抱えることがもはや効率的
ではなく、アウトソーシングに出したほうが
いい仕事ではないか?
「なんとなく」「惰性で」やっているだけに
過ぎない仕事に疑問を持たず、あまつさえそれを
死守するために抵抗する。厳しいようだが、
そんなことを続けていると「働く人そのもの」が
意味のないものとなる。そう判断された場合には
リストラが行われる。
日々、存亡をかけて活動をしている企業・組織に
「意味のないこと」を抱えている余裕などない。
意味のない仕事をしていないか、セルフチェック
することを怠った結果が、人ひとりの存在自体を
揺るがすことになっていくのである。
そんな「意味のないこと」をセルフチェックする
ための活動を妨げ、やる前から反対し、いわく
「成功する見込みがあるのか」
「前例がない」
「必要対効果の検証が甘い」
などなど、難癖をつけるだけの意味のないことは
やめるべきである。