褒めるべきところは褒め、叱るべき
ところは叱る。シンプルだが、これほど
難しいことはない。褒めることがなされ
なくても影響はあまりないが、叱ることが
正当になされなかったときの影響が大きい
という点でも難しい。
褒めること、すなわち人事評価が正当に
なされることが不十分だったとしても、
影響はそれほど大きくない。誰が見ても
「えこひいき」が行われていたり、
ある社員に対してだけ異様に厳しい評価が
されるなど、明らかに不当なものである
ならともかく、評価が悪くて納得がいかず
不満を抱くのは本人ぐらいのものだからだ。
酒を飲んで先輩や同僚にグチを言うぐらい
のことはするだろうが、それも酒の肴の
一つくらいのものだと思えばよい。
しかし、失敗や不祥事に対して正当な
対処がなされなかったときの影響は
はるかに大きい。
「泣いて馬謖を斬る」の故事にも
あるように、罰を与えることが
きちんとなされないと、まじめに
やっている人がやる気をなくし、
企業・組織の腐敗を招くからである。
失敗や不祥事は多くの人に影響を与える。
広く世間に知れ渡りでもすれば、直接は
何の関係もない社員まで批判され、罵声を
浴びせられることになる。士気が低下し、
さらなる失敗や不祥事が起こる温床にも
なりかねない。
何があったのか。
なぜこんなことが起こったのか。
きちんとした調査がなされ、事実関係と
原因の究明が行われ、結果はすべて
公表されなければならない。
なかでも必ず明らかにするべきなのは、
失敗や不祥事を起こした個人の資質に
よるものなのか、それとも組織の構造的な
欠陥があったために「起こるべくして起こった」
ことなのかどうかである。そう判断した理由も
きちんと公開し、広く判断を求めることだ。
誰もが最も知りたいのはそこである。
自分の人生を、あるいは生活を掛けている
組織がそれに値するものなのかどうか。
知りたいのはそこである。
もしその点を曖昧にすれば、それは
「運悪くバレてしまっただけなんです」
「組織の腐敗を見て見ぬふりをします」
「これからも同じことが起こるかも
しれませんが、そのたびにフタをします」
と言っているのと同じである。
そんな組織からは、人が去っていく
だけである。
必要なのは罰を与えることではない。
罰を与えなければならない理由と、
今後この出来事をどう組織のために
活用するかの決意表明である。