面接官に向かない人々 Vol.6「人を数値で測ろうとする」


面接官に向かない人々。お次は

「人を数値で測ろうとする

ということである。

 

面接官の中には、履歴書・職務経歴書に

書かれている「数字」にしか目がいかない

人がたくさんいる。

年齢、出身大学、転職回数、資格の数・・・

表彰回数や目標達成率なども、自己申告

ではあるが書かれている。

履歴書・職務経歴書には実に多くの

数字が書かれている。

 

そのことによって「だけ」評価するので

あればたしかに客観的な数字によるもの

であり、公平なのかもしれない。

 

だが、そんなことで評価するならAIに

任せたほうがより客観的だ。面接官と

年齢が近いとか出身大学が同じだ、

という個人的なことで左右される

こともないのだから。

 

そのような「数字」によってバイアスが

かかった状態の「色眼鏡」をかけた人が

面接官をつとめる面接は、私なら絶対に

受けたいとは思わない。

 

そのことが十分に認識されているのか、

アメリカでは、履歴書・職務経歴書には

年齢や出身大学が書かれていない。

しかしこれは「人種差別の問題を避ける

という目的のため」というより深刻な

問題によるものだが。

 

そのため、名前も出身地すらも書かれて

いない履歴書・職務経歴書によって、

しかも面接は顔はおろか音声も加工され

人種や年齢、性別すらわからない状態で

行われるという。人種等の余計なバイアスを

すべて排除し、純粋に経歴と実績によって

判断されるのである。

 

日本において扱いが難しいのが「偏差値」で

大きなバイアスがかかることになるという

事実だ。就職活動において、その後の転職

活動においても、もっといえば人生に

おいても、学歴があるかないかという

ことは、良くも悪くも結果を大きく左右する。

 

デリケートな問題だし、このことに触れると

感情的になり激高する人も少なくなく、

議論しても意見の一致をみることもないので

避けたい話題である。だが、多くの人が、

「学歴からは逃れることはできない」

ということを実感として持っているという

点では一致するのではないだろうか。

 

学歴だけでなく、ほかの「数字」も、

本人が努力してきたこと、選択してきた

ことの結果であることには変わりがない。

人種や出身地のように、自分でどうにも

できないことではないのだから、それに

対するバイアス、あるいは偏見は仕方の

ないことなのかもしれない。

 

だが、忘れてはいけないのは、これらは

すべて「過去」のことであり、現在や

未来のことではないということだ。

入社して仕事をするのは未来のことである。

そのために現在、どんな努力をし、学び、

希望を持っているのかを確かめなくて

よいのだろうか?

 

就職活動でも転職活動でも、学歴があれば

それなりに有利である。しかし、学校を

卒業した後は勉強はおろか本も一冊も

読まず、努力をしていない人の能力は

さびて朽ち果てているだろう。

 

「過去の数字」によって判断する

ことは愚の骨頂である。