面接官に向かない人々。お次は
「人の痛みがわからない」
ということである。
人の痛みがわからないというのは
人間として致命的な欠陥であると
個人的には思うが、それは面接官と
しての適性にもそのままあてはまる。
面接官は求職者に対する態度には、特に
注意しなければならない。なぜなら、
面接官のほうが求職者よりも強い
立場にあるからだ。
弱い立場の人間は対抗手段として、
強い立場の人間の一挙手一投足を
つぶさに観察し厳しく評価を下し、
自分の次の行動を決める。
そうしないと自分を守れない。
面接は「私を雇ってください」という求職者
からの申し出に対し、採用する側がそれに
応えるかどうかを審査する場所。どれほど
優秀な人であっても、面接官が「採用しない」
と決めれば採用されない。生殺与奪権を
握られた求職者は、面接官の顔色をうかがう。
経営が傾いた企業が、外部からプロ経営者を
「三顧の礼」によって招へいするような場合
でもない限り、採用する側が優位に立ち、
求職者は弱い立場にある。
これが求職者にとっての、避けることの
できない「痛み」である。
そのことを認識せず、求職者に対する
尊敬の念を忘れるならば、面接官として
どれほど経験も訓練も積んでいようとも
失格である。
上から目線の態度を取る面接官に、数多く
出会ってきた。その根底には、人の痛みを
理解しないという欠陥が横たわっていた
と思えてならない。つまり、面接官である
自分のほうが立場が上で、優位に立って
いるという思い上がりだ。
その結果、退職理由や失敗談をことさらに
掘り下げ、あげつらい、追求する。
「なぜそんなことをした?」
「ほかに方法がなかったのか?」
「我慢や努力が足りなかったのでは?」
など、まるで退職を犯罪ととらえ、
容疑者を尋問していると錯覚している
かのようなぶしつけな質問を繰り返す。
それだけでは済まさず、納得のいく答えで
なければ首を傾げ、ことあるごとに難癖を
つける。
その結果、自分勝手な理由で退職し、
努力もせずに失敗した、取るに足らない
人物であるという烙印が押される。
えん罪の一丁上がりである。
求職者はさまざまな事情を抱えている。
たとえ面接であっても、訊かれたくないこと、
答えないことがある。過去に起こった様々な
事情には話せないことも含まれている。
本人の力だけではどうしようもない、不可抗力で
起こった事情に巻き込まれることもある。
当事者でなければわからない、複雑な事情が
横たわっていることもある。
そのような事情を察し、深くは立ち入らない
配慮を見せることも面接官にとって重要な
資質である。