面接官に向かない人々。お次は
「独自の理論にこだわる」
ということである。
面接官はそれぞれ独自の判断基準を
持っているものだ。統計データや
経験によって裏打ちされた「確かな」
ものもあるだろう。だが、その基準を
面接の初めのほうで適用してしまう
ことは極めて危険である。
なぜなら、それ以降の評価にはバイアスが
かかった状態になり、「色眼鏡」でしか
見ることができなくなってしまうからだ。
独自の基準を適用するのであれば、迷った
ときの最後の手段として使うべきである。
どんな独自の基準があるのだろうか?
いつくか挙げてみよう。
「転職回数が3回以上の人は堪え性が
ないのだから採用すべきではない」
「食事の時におかずから手をつける
人でないと採用しない」
「自分のことを運が良いと考えて
いない人間は採用しない」
それぞれ理由はあるのだろう。
3つ目の基準などは、経営の神様と言われる
松下幸之助氏の判断基準であり、かなり有名
だろうと思う。理由も納得できるものだ。
はっきりした根拠を言えるものでなければ、
それは単なる個人的な「主観的判断」や
「思い込み」であるといっていいだろう。
出身地や出身大学、あるいは漠然と
「苦労していない」「すぐに辞めそうだ」
などとという極めて主観的なものまで。
取るに足らない理由によって求職者は
不採用になっていることも珍しくない。
だが、これは仕方のないことなのかも
しれない。人間には感情があり、理性的
判断ができるはずなのに感情がそれを凌駕
してしまうことがある。勝負は時の運と
いうが、面接もまさに「だれが面接官と
して座っているかという運」によって、
求職者が採用になるか不採用になるかが
左右されているという厳然たる事実がある。
Aという人物が面接をする予定だったが
たまたま体調を崩していたためにBという
人物がピンチヒッターとして面接官を
務めたことで、求職者が採用されることに
つながった。その逆もある。
だからこそ、独自の理論、判断基準を
最初に適用し、その後はそれを確かめる
ための面接をすることの危険性を認識
しておく必要がある。
例外のない法則はない、ということを
肝に銘じておかなければならない。