これからの時代、企業はサラリーマンで
一生を終わる人を採用してはならない。
逆説的だが、いつでも独立できるだけの
実力を持つ人材を抱え、現実に独立する
人がいてこそ、組織は発展する。
では、一生サラリーマンで終わりそうな
人材はどんな特徴を持っているだろうか。
第十三回のテーマは
「人の名前に無頓着」である。
人の名前に敬意を
人の名前を間違えることは失礼に
あたることに異論はないだろう。
しかし、話し言葉では間違わなくても、
書き言葉では間違える人は意外に多い。
人の名前に対する敬意と、少しの注意が
あれば間違えることはないはずだが、
実際は、少なくない人が間違える。
例を挙げよう。
私の苗字は「酒巻」と書くのだが、
メールやLINEでは「坂巻」と
書かれていることが結構あるのだ。
「サカマキ」という音韻だけを聞いて
そう書いたのならまだわかる。全国の
苗字ランキングでは「酒巻」は2,064位、
「坂巻」は1,593位。「坂巻」のほうが
わずかながら一般的なようだし、漢字変換
でも「坂巻」と先に出てくるからだ。
だが、名刺交換をしているし、こちらから
送ったメールの文末クレジットにも「酒巻」
と明記している。少し注意を向けて見れば
間違えないはずなのだ。だが、間違える。
そして気づかない。
最初は間違いを指摘して訂正していた。
1年ほど一緒に働いていた同僚に
間違えられたときには、悲しくなり
怒りをぶつけたこともある。
しかし、最近は、ムッとはするが
いちいち訂正はしない。返信の最後に
「酒巻」と書き加え、気づいてくれる
のを待つだけだ。
それでどうなるか?残念なことだが、
たいていの人は、その後も気づくことは
なく間違い続ける。人の名前を間違える
という最大級の失礼を犯していながら、
そのことに気づくことができるだけの
「細かなことへの配慮」が欠けている
のであろう。いや、欠けているから
こそ間違えるし、間違い続けると
いったほうがいいのか。
神は細部に宿る
「細かいことに注意が向かない」
これは根本的な性質なので、容易には
変わることはない。だから、気づいて
くれるまで待つのは無意味で、あきらめる
しかないのだ。人の名前に限らず、少し気を
掛ければ気づくことができる細かなことに
注意が向かない、という性質は変わらない。
そして、「細かなことに配慮できない」
これは、思っている以上に致命的な
欠陥である。
なぜなら、神は細部に宿るからだ。
細かいことに対する気配りや配慮は
マニュアル化することができない。
状況は千差万別だし、これという
正解があるわけでもなく一つではない。
したがって容易には訓練できない。
だからこそ、そこに仕事の価値が
生まれる。その価値に気づけるか
どうかが、一生をサラリーマンで
終わるかどうかを分ける。