採用担当者が所属する組織に対して
できる貢献とは何でしょうか?
営利組織である限り、売り上げをあげ
利益を出すことが求められます。
しかし、採用担当者は売り上げを
あげることもなく、かといって
コスト削減ができる機会も少ない。
この点を踏まえて、採用担当者が
組織にできる貢献とは何か?
この問いに真摯に向き合うために、
日々の業務をこなす中で
「忘れがちなこと」について
書いていきます。
第5回のテーマは
「人を判断できない」
です。
神ならぬ身には
人が人を判断することの
難しさは古今東西、変わらぬ
ことのようです。神ならぬ身には
人を判断することは不可能なの
かもしれません。
天才軍師として有名なあの
諸葛孔明ですら、人に関する
判断を誤ったために戦に負けて
しまったことがあります。
重要な作戦の指揮官に孔明自身が
任命した馬謖という武将が失態を
犯したために、魏との決戦に
決定的な敗北を喫し、即座に撤退
することを余儀なくされてしまった。
「泣いて馬謖を斬る」という
言葉となって後世に残った
戦後の処置は、軍律を守ることを
優先し自らの感情を二の次にした
立派なものとして語り継がれています。
しかし、これには異説もあるようで。
孔明は、能力を高く評価し愛弟子とも
言える、馬謖を処罰しなければならない
無念のために泣いたではない、という
説です。
孔明が泣いたのは、主君である劉備から
「馬謖を重く用いてはならない」と
くぎを刺されていたにも関わらず、
重要な作戦の指揮官に任命するという
判断の誤りを犯してしまった、自分の
不明を嘆いたのだといいます。
直感に頼るしかない?
結果としては劉備には人を見る
目があったが、孔明にはそれが
なかったということになるの
でしょう。しかし、本当に
それだけなのでしょうか。
劉備は孔明という天才軍師を
「三顧の礼」で迎えるなど、
優秀な人材を見抜き、集める
ことに長けていました。
それはまさしく天才のなせる
技だったのではないでしょうか。
すなわち、方法論として人に
教えることのできない、理論化
することのできない「直感」と
でも言うしかないものによる
判断だった。ほかの人には
マネできないものです。
採用面接でも、理論的に、客観的に
人の採否を判断するべく、面接術や
性格テストなどが導入されています。
しかし、それらは気休めに過ぎない
のではないかと思います。
最後は、その人と相対した時に
感じる「直感」による判断しか
最終的に頼れるものはない。
そう感じています。