「本が共通言語になる」ーー
世代が違うと話がかみ合わないのは、
同じ日本語を話していても、
「共通言語」ではないからです。
読書会では本が共通言語になります。
同じ日本語でも・・・
世代が違えば、同じ言葉でも
違う意味で解釈されるものが
たくさんあります。
「かわいい」「やばい」などは
その典型でしょう。
使う人によって違う意味を持ち、
それは主に世代によるものでは
ないでしょうか。
これほどはっきりした
「意味の違い」は持っていなくても、
相手の世代によって受け取り方が
違うことも多い。
また、「誰が発した言葉なのか」も
解釈に大きな影響を与える。
同じことでも、年長者が言うのと
若輩者が言うのとでは、受け取り方も
違ってくる。
自分が認めている人、尊敬している人
から言われれば受け入れることでも
「所詮は青二才が言うことだ」
「頭の固い老害のたわごとだ」
そう解釈してしまうもの。
その「感情」によるバイアス、
色眼鏡があるから、世代間の
隔たりは埋まることは少ない。
読書会では、たとえ誰が話したことでも
それは本という「共通言語」である
というフィルターがある。
そのフィルターが感情や偏見、
プライドといった邪魔なものを
「ろ過」してくれる。
だからこそ、
「誰が言ったか」
ではなく
「何を言ったか」
によって冷静な判断
ができるのです。
これが、ジェネレーションギャップを
埋めてくれる、読書会での本の
「重要な役割」です。